adagio
我が家に突然降りかかった遺伝子の病気「進行性筋ジストロフィー症」をきっかけに、巻き起こった様々な感情や、現在進行形の出来事について、語ってゆきたいと思います。
競歩大会と走るということ
先週の木曜日、オトートの学校で競歩大会が開かれました。
一応名前は競歩大会ですが、走っても歩いてもいいという学校のまあ、マラソン大会のような行事です。距離は12キロ。普通に考えたら、歩くにせよ走るにせよ、大して長い距離ではないかもしれませんが、筋ジスの子が走るとなると話は別。中3の時の持久走では、ダントツ遅いながらも、なんとか走ることを止めずに走りきったのですが、それでもその時は3キロだったのです。4倍です。大丈夫なのだろうか?という考えが日を追うごとに、わたしの頭の中で増していきます。
そうやって遅いながらも、昨年までを見ていても、彼はなぜか決して走りたくないとは言いません。遅くてもなんでも淡々とゴールを目指してマイペース。あの「気にしい」の彼が、なぜか長距離を走ることはイヤだとは言いません。
今回も同様で、本人は大丈夫、大丈夫と言うばかりで全然心配もしていないのが余計に気になるのですが、自立し始めた高校生にあんまり「心配だ!心配だ!」というのも過保護な気がして、「えいままよ!」とその日を迎えてしまいました。
直前になって、本人が「内科検診を受けたんだけど、受けた人は半分くらいなんだよ」と言うので、なんで?と聞いたら、検診が必要なのは「走る方に登録した人だけだから」というので「え~っ!?」と二度びっくり。
それじゃなくても人と比べて全然筋力が足りないのに、何も走るコースを選ばなくてもいいんじゃないの!?途中で歩けなくなったらどうするの!?大会で力を使い果たしたって、学校から家まで、更に1時間は自力で帰らなきゃならないんだよ?アンタにそのペース配分ができるの?
まったくなんで「歩くコース」にしないの!?と半ばキレ気味な母。
本人が言うには、「歩くだけコースだと、途中でかえってくたびれるかもしれない。走るコースを選べば、距離を稼いではくたびれたら歩けばいいわけで、だらだら歩いているより楽なはず」と言うのです。え~!?本当にそうなんだろうか!?わざわざ筋肉に負担をかけてどうする!?・・・とどこまでも半信半疑な母。
適度な運動は彼に必要不可欠なものですが、一度筋肉を壊してしまうと、回復させるのには人の何倍も時間がかかるし、骨折なんてした日には、筋肉の寿命を縮めてしまうことにもなるのです。
とはいえ、結構息子は頑固なので、もう当日は本人が思うとおりやらせるしかないと思い、
「極限まで我慢しないでよ」「ダメだと思ったら早めに先生に言って車に乗せてもらいなよ」「変に見栄を張って痛めたら取り返しがつかないんだからね!」とそれはそれはキツく言って送り出しました。
さて木曜日、帰って来た彼は、さすがに足が攣ったとかでぎこちなく歩いてはいましたが、晴れ晴れとした顔です。予想に反して楽勝で完走できたのだそうです。
大幅に遅れて昼食を食べ損なうことも、他の人や先生方に迷惑を掛けることもなかったそうで、「歩きとおすことが目標だったのに、途中でイヤになってだらだらやっている人も多い中、真ん中くらいでゴールできたよ!」とニコニコです。
小さい頃は、病気のことを話せずに、ひとりで黙って困り果てていたこともあった彼ですが、今回はちゃんと言うべき相手(先生とか、ごくごく近しい友人)には事情を話してあったらしく、そこら中で出会う先生先生にはうるさいくらい「大丈夫か!?」「いつでも車は用意してあるぞ」と声を掛けてもらっていたそうだし、友だちには「オマエが遅れたら、遠慮なく置いてくから、ムリに着いて来ようと思うなよ。ちゃんとゴールで待ってるから」と言ってもらったのだとか。
ちょっとは大人になったのね。余計な口を出さなくて正解でした。
とりあえず、いろいろと勝手な心配をしたため、恐ろしく胃が痛い思いはしましたが、終わってしまえば、彼にとってはすごくいい経験ができただろうし、「やめなさい」と何がなんでも止めなくてよかったなあと思います。
健康なわたしたちにしたって、ちょっとたくさん歩けばどうにもこうにも足が痛いとか、筋肉痛だとか、もう歩きたくないとか・・・日常的に思うことはたくさんありますが、一方で歩きたくても歩くことができない人もいれば、寝たきりになってしまったものの、「痛い思いをしてもいいから、一度でいいから人と同じ土俵に立って歩いてみたい」と思う人もいます。
一方でアネみたいに、小さい頃から運動が本当に苦手で苦手で、今日は体育祭だと思うだけで青ざめて本当に具合が悪くなってしまう子もいるのです。
アネにしてみれば、わたしが小さい頃からオトートに「がんばらなくていいからね!」「ムリしなくていいんだよ」「先生にはちゃんと言ってあるから」と言うたびに、彼には「理由」が走らなくてもいい「大義名分」があることが本当にうらやましいと思っていたそうです。
彼女は彼女で、「なんでそんなに遅いの?」という好奇の目にさらされることがそれはそれはつらかったし、またそういう目に合うかもと思うだけで、何日も前からかなり憂鬱だったのだそうです。
当時は筋ジスの症状が進んだ子たちの事が常に頭にあったので、「あんたねぇ、走りたくても走れない子もいるんだから」とか、「走れるってだけで幸せなんだよ」とかいつも同じ口調でたしなめていましたが、昨年、震える足で何度も何度も「大丈夫かなあ?」と言いながら、真っ青な顔で学校に行く彼女を見て、この子にとってはこれが本当に死に物狂いなんだ。わたしだったら、わかっていて火の中に飛び込むくらいの勇気がいることなのかもしれないと気がついたのです。
「そこまで大変なら、やめたっていいよ。走らなくったって死ぬようなことはないんだから」ぐらいのことは言ってあげればよかったなぁ。完走したことを、もっともっとほめてあげればよかったなぁ。後悔先に立たずです。
一方で生徒のひとりが、この間涙ながらに悔しいと言って泣き出すことがありました。彼女はいつもマラソン大会で1位なのが当然という子なのに、今年に限って力が出せず、15位だったのですって。
200人中の15位ですから、「何を贅沢なことを!」という人もたくさんいたみたいですが、彼女の気持ちもよくわかって思わずもらい泣きしそうになりました。「くやしい・・・くやしい。がんばれなかったわたしのバカバカ・・・ホントくやしい。」嗚咽の合間合間に彼女が絞り出す言葉は、本音の本音で、彼女にとってはビリになったのと同じくらいのショックだったらしいのです。
がんばったか、がんばらなかったか。満足がいったか満足できなかったか・・・というのは、誰かとの比較においてではなくて、あくまでも自分の中での気持ちの問題なのですから。
青ざめながらも、呼吸が苦しくなりながらも1日をなんとか終えたアネも、遅かろうがキツかろうが、ただただみんなと同じ土俵に立って遣り通せたことがうれしかったオトートも、今年のくやしさをこらえきれなかった生徒も・・・
みんなみんな、「よくがんばったね!」と受け止めてもらえる、誰にもからかわれたり、叱咤されたりしない世の中になるといいなあと思います。
かく言うわたしも、ダメダメな母親だったわけですが、こうやっていろんな経験をしながら、この年になったって、まだまだ意識が変わることもあるのです。
「走る」ということを通して、様々に考えさせられました。
一応名前は競歩大会ですが、走っても歩いてもいいという学校のまあ、マラソン大会のような行事です。距離は12キロ。普通に考えたら、歩くにせよ走るにせよ、大して長い距離ではないかもしれませんが、筋ジスの子が走るとなると話は別。中3の時の持久走では、ダントツ遅いながらも、なんとか走ることを止めずに走りきったのですが、それでもその時は3キロだったのです。4倍です。大丈夫なのだろうか?という考えが日を追うごとに、わたしの頭の中で増していきます。
そうやって遅いながらも、昨年までを見ていても、彼はなぜか決して走りたくないとは言いません。遅くてもなんでも淡々とゴールを目指してマイペース。あの「気にしい」の彼が、なぜか長距離を走ることはイヤだとは言いません。
今回も同様で、本人は大丈夫、大丈夫と言うばかりで全然心配もしていないのが余計に気になるのですが、自立し始めた高校生にあんまり「心配だ!心配だ!」というのも過保護な気がして、「えいままよ!」とその日を迎えてしまいました。
直前になって、本人が「内科検診を受けたんだけど、受けた人は半分くらいなんだよ」と言うので、なんで?と聞いたら、検診が必要なのは「走る方に登録した人だけだから」というので「え~っ!?」と二度びっくり。
それじゃなくても人と比べて全然筋力が足りないのに、何も走るコースを選ばなくてもいいんじゃないの!?途中で歩けなくなったらどうするの!?大会で力を使い果たしたって、学校から家まで、更に1時間は自力で帰らなきゃならないんだよ?アンタにそのペース配分ができるの?
まったくなんで「歩くコース」にしないの!?と半ばキレ気味な母。
本人が言うには、「歩くだけコースだと、途中でかえってくたびれるかもしれない。走るコースを選べば、距離を稼いではくたびれたら歩けばいいわけで、だらだら歩いているより楽なはず」と言うのです。え~!?本当にそうなんだろうか!?わざわざ筋肉に負担をかけてどうする!?・・・とどこまでも半信半疑な母。
適度な運動は彼に必要不可欠なものですが、一度筋肉を壊してしまうと、回復させるのには人の何倍も時間がかかるし、骨折なんてした日には、筋肉の寿命を縮めてしまうことにもなるのです。
とはいえ、結構息子は頑固なので、もう当日は本人が思うとおりやらせるしかないと思い、
「極限まで我慢しないでよ」「ダメだと思ったら早めに先生に言って車に乗せてもらいなよ」「変に見栄を張って痛めたら取り返しがつかないんだからね!」とそれはそれはキツく言って送り出しました。
さて木曜日、帰って来た彼は、さすがに足が攣ったとかでぎこちなく歩いてはいましたが、晴れ晴れとした顔です。予想に反して楽勝で完走できたのだそうです。
大幅に遅れて昼食を食べ損なうことも、他の人や先生方に迷惑を掛けることもなかったそうで、「歩きとおすことが目標だったのに、途中でイヤになってだらだらやっている人も多い中、真ん中くらいでゴールできたよ!」とニコニコです。
小さい頃は、病気のことを話せずに、ひとりで黙って困り果てていたこともあった彼ですが、今回はちゃんと言うべき相手(先生とか、ごくごく近しい友人)には事情を話してあったらしく、そこら中で出会う先生先生にはうるさいくらい「大丈夫か!?」「いつでも車は用意してあるぞ」と声を掛けてもらっていたそうだし、友だちには「オマエが遅れたら、遠慮なく置いてくから、ムリに着いて来ようと思うなよ。ちゃんとゴールで待ってるから」と言ってもらったのだとか。
ちょっとは大人になったのね。余計な口を出さなくて正解でした。
とりあえず、いろいろと勝手な心配をしたため、恐ろしく胃が痛い思いはしましたが、終わってしまえば、彼にとってはすごくいい経験ができただろうし、「やめなさい」と何がなんでも止めなくてよかったなあと思います。
健康なわたしたちにしたって、ちょっとたくさん歩けばどうにもこうにも足が痛いとか、筋肉痛だとか、もう歩きたくないとか・・・日常的に思うことはたくさんありますが、一方で歩きたくても歩くことができない人もいれば、寝たきりになってしまったものの、「痛い思いをしてもいいから、一度でいいから人と同じ土俵に立って歩いてみたい」と思う人もいます。
一方でアネみたいに、小さい頃から運動が本当に苦手で苦手で、今日は体育祭だと思うだけで青ざめて本当に具合が悪くなってしまう子もいるのです。
アネにしてみれば、わたしが小さい頃からオトートに「がんばらなくていいからね!」「ムリしなくていいんだよ」「先生にはちゃんと言ってあるから」と言うたびに、彼には「理由」が走らなくてもいい「大義名分」があることが本当にうらやましいと思っていたそうです。
彼女は彼女で、「なんでそんなに遅いの?」という好奇の目にさらされることがそれはそれはつらかったし、またそういう目に合うかもと思うだけで、何日も前からかなり憂鬱だったのだそうです。
当時は筋ジスの症状が進んだ子たちの事が常に頭にあったので、「あんたねぇ、走りたくても走れない子もいるんだから」とか、「走れるってだけで幸せなんだよ」とかいつも同じ口調でたしなめていましたが、昨年、震える足で何度も何度も「大丈夫かなあ?」と言いながら、真っ青な顔で学校に行く彼女を見て、この子にとってはこれが本当に死に物狂いなんだ。わたしだったら、わかっていて火の中に飛び込むくらいの勇気がいることなのかもしれないと気がついたのです。
「そこまで大変なら、やめたっていいよ。走らなくったって死ぬようなことはないんだから」ぐらいのことは言ってあげればよかったなぁ。完走したことを、もっともっとほめてあげればよかったなぁ。後悔先に立たずです。
一方で生徒のひとりが、この間涙ながらに悔しいと言って泣き出すことがありました。彼女はいつもマラソン大会で1位なのが当然という子なのに、今年に限って力が出せず、15位だったのですって。
200人中の15位ですから、「何を贅沢なことを!」という人もたくさんいたみたいですが、彼女の気持ちもよくわかって思わずもらい泣きしそうになりました。「くやしい・・・くやしい。がんばれなかったわたしのバカバカ・・・ホントくやしい。」嗚咽の合間合間に彼女が絞り出す言葉は、本音の本音で、彼女にとってはビリになったのと同じくらいのショックだったらしいのです。
がんばったか、がんばらなかったか。満足がいったか満足できなかったか・・・というのは、誰かとの比較においてではなくて、あくまでも自分の中での気持ちの問題なのですから。
青ざめながらも、呼吸が苦しくなりながらも1日をなんとか終えたアネも、遅かろうがキツかろうが、ただただみんなと同じ土俵に立って遣り通せたことがうれしかったオトートも、今年のくやしさをこらえきれなかった生徒も・・・
みんなみんな、「よくがんばったね!」と受け止めてもらえる、誰にもからかわれたり、叱咤されたりしない世の中になるといいなあと思います。
かく言うわたしも、ダメダメな母親だったわけですが、こうやっていろんな経験をしながら、この年になったって、まだまだ意識が変わることもあるのです。
「走る」ということを通して、様々に考えさせられました。
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あたりまえのしあわせ
土曜日は家族がみんな、別々の場所でそれぞれに遊びました。
オットとわたしは玉置浩二さんのライブへ、アネは家に友達を連れて来て、オトートは東京ディズニーシーへ。
筋ジスがわかった小学校1年生の時には、10年後ひとりで友達と一緒に電車に乗って遠くまで遊びに行き、1日中遊び倒す彼の姿なんてとても想像できませんでした。病気の進行が止まってくれているお陰で、元気に歩き回り、「疲れた~!」とくたくたになるまで楽しめたこと、本当によかったなあと思います。
一方のアネは、昨年の今頃だったら、きっと都内の学校へひとりで通学なんて夢のまた夢でした。
学校に行っても何度もメールをよこしたり、不安で不安で家の中でふとんをかぶって震えていた彼女は、1年たって専門学校のクラスメートと毎日学校帰りにサイゼでお茶までして帰って来られるようになっています。
昨年の分も取り返すかのように友達と濃密な時間を過ごす彼女。土曜日はここのところ毎週のように自主登校して、友達と課題を仕上げたり、新しいテーマで絵やお話を書いたりしています。
土曜日はそんな仲良しの友達をふたり家に連れて来て、遊んでおりました。昨年の様子を知るオットやわたしからしたら、夢のような出来事です。
そんな風に彼らが楽しそうなのを時折メールなどで確かめながら、オットとライブを楽しみ、その後ワインを飲みながら、久しぶりに大人だけの時間を楽しみました。
いろいろなことがあると、当たり前のことのしあわせがよくわかります。
たとえばくたくたになるまで歩けること。これは足の筋肉が健康であればこそ。
一人で電車に乗って都内を往復すること。これは心身ともに健康であってこそ。
子どもたちと別々に、夫婦の時間を持てること。
これもまた、みんながしあわせであってこそ。
当たり前のことをあたりまえと思わずに、しあわせだ~!と実感できる心を持っていたいなあと思います。
やまない雨はないんだなあとしみじみ。
オットとわたしは玉置浩二さんのライブへ、アネは家に友達を連れて来て、オトートは東京ディズニーシーへ。
筋ジスがわかった小学校1年生の時には、10年後ひとりで友達と一緒に電車に乗って遠くまで遊びに行き、1日中遊び倒す彼の姿なんてとても想像できませんでした。病気の進行が止まってくれているお陰で、元気に歩き回り、「疲れた~!」とくたくたになるまで楽しめたこと、本当によかったなあと思います。
一方のアネは、昨年の今頃だったら、きっと都内の学校へひとりで通学なんて夢のまた夢でした。
学校に行っても何度もメールをよこしたり、不安で不安で家の中でふとんをかぶって震えていた彼女は、1年たって専門学校のクラスメートと毎日学校帰りにサイゼでお茶までして帰って来られるようになっています。
昨年の分も取り返すかのように友達と濃密な時間を過ごす彼女。土曜日はここのところ毎週のように自主登校して、友達と課題を仕上げたり、新しいテーマで絵やお話を書いたりしています。
土曜日はそんな仲良しの友達をふたり家に連れて来て、遊んでおりました。昨年の様子を知るオットやわたしからしたら、夢のような出来事です。
そんな風に彼らが楽しそうなのを時折メールなどで確かめながら、オットとライブを楽しみ、その後ワインを飲みながら、久しぶりに大人だけの時間を楽しみました。
いろいろなことがあると、当たり前のことのしあわせがよくわかります。
たとえばくたくたになるまで歩けること。これは足の筋肉が健康であればこそ。
一人で電車に乗って都内を往復すること。これは心身ともに健康であってこそ。
子どもたちと別々に、夫婦の時間を持てること。
これもまた、みんながしあわせであってこそ。
当たり前のことをあたりまえと思わずに、しあわせだ~!と実感できる心を持っていたいなあと思います。
やまない雨はないんだなあとしみじみ。
近況報告
こちらではまだ報告しておりませんでしたが、オトートは元気です。
ただ今、1時間20分くらいかけて、県内のある私立の高校に通っています。学科は国際英語学科。特に英語が得意だとは思えませんが(笑)どうしても本人がその学校のその学科に行きたいという強い希望があり、入試を受けました。
親の気持ちとしては、筋力が弱いのに大荷物を持って遠くへ通学するのは大変だし、体育などでぐったり疲れてしまった場合、家から近い方が断然楽だろうと思ったのですが、なにより本人が、どうしてもその学校を気に入ってしまい、「行きたい」という強い気持ちがあったので、根負けした感じです。
実家の父に相談したところ、「本人が行きたいという意志に従うのが一番だろう!」「ダメだということになれば、その時にまた考え直せばいい」と言ってくれたこともありました。
実際始まってみると、朝6時半には家を出なければならないし、乗換えが3度ほどあって、特に大宮駅での乗り換えはたくさん歩くしで、どうなることかと思ったのですが、本人は意外にも平気でした。遠いということに関して文句を言ったことは一度もありません。もしかしたら、自分から言った手前、いまさらいやだとは言えないのかもしれませんが、「明らかに疲労の極限」という状態は知っていて、そこまでにはなっていないようなので、今のところは、静観中です。
学校内の体育や武道に関しては、小学校時代から何度も繰り返しているように「疲れたら休みなさい。病気のことは、必要があれば自分で説明しなさい」を耳にたこができるくらい言い聞かせてあるので、必要がある時は、ちゃんと申し出ているらしいです。
環境が変わったのですから、小さな不都合は多々あるかもしれませんが、言って来ない限りは極力口を出さないようにしています。
入試を受ける前に、「筋ジスという難病を持っています。現状では進行はないようです。日常生活はほぼ大丈夫ですが、体育や重い物を持つような事態が生じたとき、場合によってはご迷惑をおかけするかもしれません。なにか困った事態が起きたら、すぐに飛んで行く覚悟はあります」
というようなことを夫婦で説明に伺ったのですが、その時対応してくださった先生方は、「そのことを入試の際に特別に申し出る必要はありません。普通に試験を受けて合格したら、あらためて、現場の担任などに、必要なことを言っていただければ結構です。」というお返事をいただきました。
場合によっては、断られることも覚悟の上で出かけたので、その潔い対応に触れ、この学校なら大丈夫だろうということで、決めました。
ただ今、2学期が始まって1週間。仲良くしている友達と3人で、いつもわいわいやりつつ、普通の学校生活を送っているようです。
校風はちょっとうんざりするくらい厳しい学校ですが(笑)本人「きちんとしてなきゃ気持ち悪い」というタイプなので、嬉々として校則にのっとっているので、アネとふたり、「変なヤツ~!」と笑っています。
たとえば、携帯禁止も携帯音楽プレーヤー禁止も、「校則で決められているから」と絶対に持って行ったりしないし、真面目すぎてつまらな~い!!とアネとわたしに言われ放題です(笑)
夏休みは、なにより運動不足により筋力が落ちることが心配だったのですが、どうやらバロンとの日に2回の散歩や家の片付けなどをどんどんやってもらったのがよかったのか、今のところ、筋肉痛にはなっていないみたいで、ひと安心というところです。
今のところは彼の方が少し余裕があって、専門学校入学とともに、なんとか普通に都内の学校にちゃんと休まず通えるようになったアネのことを心配したり、アネの相談にのってやったりしています。
この姉弟は面白くて、お互いに「このことについて、どう思う?!」なんて結構核心に触れた内容を相談し合ったりします。
ふたりで話しているのを聞いていると、結構哲学的だったり、現実的だったり。いつの間にかもっともらしいことを言うし、また意外にわたしが言っても素直に聞かないことでも、姉弟に言われると納得したりしていたりします。もうそういう年なんだなあとしみじみ。
さて、昨年1年大嵐に見舞われた、アネのうつ病に関しても、ここに一緒にまとめてしまおうかどうしようか迷っているところです。
あるいは、本家「ふぇるまーた」から、こちらに入れてもいい内容を移管してもいいかな?なんてことも。
まだまだ手探りしておりますが、こちらに関しては、どうぞ長い目で見ていただけると助かります。
PS:さっそく拍手や拍手コメントをいただきました。Kさま、コメントを残してくださってありがとうございます。
またぜひ、遊びにいらしてくださいね!
ただ今、1時間20分くらいかけて、県内のある私立の高校に通っています。学科は国際英語学科。特に英語が得意だとは思えませんが(笑)どうしても本人がその学校のその学科に行きたいという強い希望があり、入試を受けました。
親の気持ちとしては、筋力が弱いのに大荷物を持って遠くへ通学するのは大変だし、体育などでぐったり疲れてしまった場合、家から近い方が断然楽だろうと思ったのですが、なにより本人が、どうしてもその学校を気に入ってしまい、「行きたい」という強い気持ちがあったので、根負けした感じです。
実家の父に相談したところ、「本人が行きたいという意志に従うのが一番だろう!」「ダメだということになれば、その時にまた考え直せばいい」と言ってくれたこともありました。
実際始まってみると、朝6時半には家を出なければならないし、乗換えが3度ほどあって、特に大宮駅での乗り換えはたくさん歩くしで、どうなることかと思ったのですが、本人は意外にも平気でした。遠いということに関して文句を言ったことは一度もありません。もしかしたら、自分から言った手前、いまさらいやだとは言えないのかもしれませんが、「明らかに疲労の極限」という状態は知っていて、そこまでにはなっていないようなので、今のところは、静観中です。
学校内の体育や武道に関しては、小学校時代から何度も繰り返しているように「疲れたら休みなさい。病気のことは、必要があれば自分で説明しなさい」を耳にたこができるくらい言い聞かせてあるので、必要がある時は、ちゃんと申し出ているらしいです。
環境が変わったのですから、小さな不都合は多々あるかもしれませんが、言って来ない限りは極力口を出さないようにしています。
入試を受ける前に、「筋ジスという難病を持っています。現状では進行はないようです。日常生活はほぼ大丈夫ですが、体育や重い物を持つような事態が生じたとき、場合によってはご迷惑をおかけするかもしれません。なにか困った事態が起きたら、すぐに飛んで行く覚悟はあります」
というようなことを夫婦で説明に伺ったのですが、その時対応してくださった先生方は、「そのことを入試の際に特別に申し出る必要はありません。普通に試験を受けて合格したら、あらためて、現場の担任などに、必要なことを言っていただければ結構です。」というお返事をいただきました。
場合によっては、断られることも覚悟の上で出かけたので、その潔い対応に触れ、この学校なら大丈夫だろうということで、決めました。
ただ今、2学期が始まって1週間。仲良くしている友達と3人で、いつもわいわいやりつつ、普通の学校生活を送っているようです。
校風はちょっとうんざりするくらい厳しい学校ですが(笑)本人「きちんとしてなきゃ気持ち悪い」というタイプなので、嬉々として校則にのっとっているので、アネとふたり、「変なヤツ~!」と笑っています。
たとえば、携帯禁止も携帯音楽プレーヤー禁止も、「校則で決められているから」と絶対に持って行ったりしないし、真面目すぎてつまらな~い!!とアネとわたしに言われ放題です(笑)
夏休みは、なにより運動不足により筋力が落ちることが心配だったのですが、どうやらバロンとの日に2回の散歩や家の片付けなどをどんどんやってもらったのがよかったのか、今のところ、筋肉痛にはなっていないみたいで、ひと安心というところです。
今のところは彼の方が少し余裕があって、専門学校入学とともに、なんとか普通に都内の学校にちゃんと休まず通えるようになったアネのことを心配したり、アネの相談にのってやったりしています。
この姉弟は面白くて、お互いに「このことについて、どう思う?!」なんて結構核心に触れた内容を相談し合ったりします。
ふたりで話しているのを聞いていると、結構哲学的だったり、現実的だったり。いつの間にかもっともらしいことを言うし、また意外にわたしが言っても素直に聞かないことでも、姉弟に言われると納得したりしていたりします。もうそういう年なんだなあとしみじみ。
さて、昨年1年大嵐に見舞われた、アネのうつ病に関しても、ここに一緒にまとめてしまおうかどうしようか迷っているところです。
あるいは、本家「ふぇるまーた」から、こちらに入れてもいい内容を移管してもいいかな?なんてことも。
まだまだ手探りしておりますが、こちらに関しては、どうぞ長い目で見ていただけると助かります。
PS:さっそく拍手や拍手コメントをいただきました。Kさま、コメントを残してくださってありがとうございます。
またぜひ、遊びにいらしてくださいね!
とりあえず復活ののろしを!!
ずいぶん空いてしまいました。
ちょうどこの最後のブログを書いたあたりから、「アネが高校に行けない」という事態が発生して、通院を余儀なくされたり、それどころではなくなってしまったのでした。
その上更に、子どもたちふたりの受験、わたしが胃を壊したり健康診断で乳がんの検査に引っかかったり(結局なんでもありませんでしたが)。
それはそれはさまざまな嵐に見舞われて風前の灯になってしまったこのブログです。
もう1度立て直そうと考えるきっかけは、たまたまここを見つけてくださった方に出会ったこと。
「ここで語りたい」とおっしゃってくださる方がいらっしゃったということは、わたしにとっては大きなパワーとなりました。
楽しいことを楽しく書く日記は、読んでくださる方も気楽に通いやすいことと思いますが、何しろこちらは否応なしに現実感あふれる内容になってしまいます。
楽しいことばかりというわけにもいきません。
実は何よりわたしが、そういうことを書いたり、赤裸々に自分を語ることがへたくそだということもあります。
でもでもでも…せっかくつながったという想いもありますし、ここがあって仲良しになった友人もすでに何人かいることですし、そんなこんなで再度動き出すこととなりました。
再スタートにあたり、実はまだまだ構想がきちんとできておりません。「ちゃんと考えがまとまってから」という気持ちでいたのも事実ですが、そんなことを言っていたら、永遠に始められないかもという気持ちもあって、今後は思いついたことをぽつぽつと書いて行こうと思います。
とりあえず、中途半端ではありますが、復活ののろしを上げておきたいと思います。
本家「ふぇるまーた」では、読んでくださる方が暗くなったり、悲しくなったりする内容はなるべく避けて、楽しく前向きな内容をと心がけております。
それに対して、こちら「adagio」ではもう少し突っ込んだ内容も書けたらと思います。
まだまだ手探りの部分もありますが、だんだんに整理していきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
ちょうどこの最後のブログを書いたあたりから、「アネが高校に行けない」という事態が発生して、通院を余儀なくされたり、それどころではなくなってしまったのでした。
その上更に、子どもたちふたりの受験、わたしが胃を壊したり健康診断で乳がんの検査に引っかかったり(結局なんでもありませんでしたが)。
それはそれはさまざまな嵐に見舞われて風前の灯になってしまったこのブログです。
もう1度立て直そうと考えるきっかけは、たまたまここを見つけてくださった方に出会ったこと。
「ここで語りたい」とおっしゃってくださる方がいらっしゃったということは、わたしにとっては大きなパワーとなりました。
楽しいことを楽しく書く日記は、読んでくださる方も気楽に通いやすいことと思いますが、何しろこちらは否応なしに現実感あふれる内容になってしまいます。
楽しいことばかりというわけにもいきません。
実は何よりわたしが、そういうことを書いたり、赤裸々に自分を語ることがへたくそだということもあります。
でもでもでも…せっかくつながったという想いもありますし、ここがあって仲良しになった友人もすでに何人かいることですし、そんなこんなで再度動き出すこととなりました。
再スタートにあたり、実はまだまだ構想がきちんとできておりません。「ちゃんと考えがまとまってから」という気持ちでいたのも事実ですが、そんなことを言っていたら、永遠に始められないかもという気持ちもあって、今後は思いついたことをぽつぽつと書いて行こうと思います。
とりあえず、中途半端ではありますが、復活ののろしを上げておきたいと思います。
本家「ふぇるまーた」では、読んでくださる方が暗くなったり、悲しくなったりする内容はなるべく避けて、楽しく前向きな内容をと心がけております。
それに対して、こちら「adagio」ではもう少し突っ込んだ内容も書けたらと思います。
まだまだ手探りの部分もありますが、だんだんに整理していきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
希望の象徴「勉強」との出会いの話
病気が始めて発覚したとき、主治医の先生が進行の具合には大きく分けてふたとおりあって、まだそれのどちらにわが子が属するかは、現段階ではわからないとおっしゃいました。何年かたって、情況をみてからでないと判断できないとおっしゃったのです。
一種類目の型(デュシェンヌ型と言うらしいです)であれば、進行がとても早いので、どうかすると親の寿命は越えられないかもしれない。だから「今のうちに、楽しいことをいっぱいさせてあげなさい。」と言うしかできない、と。そういう子もいっぱいいるんだよ、と。
そしてもうひとつの型(ベッカー型)であれば、「親の寿命を越えて生きられる可能性が高いだろう。それはしあわせなことだけれど、大変だ。体の自由が利かなくなったとしても一人でがんばっていかなくてはならないのだからね。そういう子たちには、『とにかく勉強をさせなさい』と僕は言うんだよ」、と。「頭や知恵を使って、親が死んだ後も生きる手段を持てるようにとにかくがんばるんだよ!」というのは、最大限の励ましの言葉だったのだと思います。
この話を胸に我が家はマレーシアに帰国したわけで、そこから日本に帰国するまでのほぼ半年は、「勉強しよう」は希望を失わないための手合言葉で、暗い長いトンネルの向こうの方にわずかに見える光でもありました。
結果的に、数年たってオトートを見た先生が「この元気なら、おそらく進行が遅い方の型だと思う。おめでとう。」とおっしゃってくださるまでの道のりは長かったですが、「勉強を怠るんじゃないよ。がんばって長生きしなさい」と厳しい顔でオトートに宣言していただいた時は、言葉にできないほどホッとしたのを覚えています。
さて、「勉強をがんばれ」と言われたわが子ですが、歩くことを始めとして、発達が少しづつ遅かったせいもあり、小さいうちは本当に苦労しました。
わたしは学生時代、幼児教育の勉強もしていたこともあったので、言葉のおこりから、発育のことまでこと細かくアベレージを知っていて、そのことが逆にあせりにつながり、大変でした。特に息子の場合、言葉がでるのが遅かったのが顕著で、2語文、3語文からなかなか文章に発展せずに、ずいぶん苦労したのを覚えています。
言語の遅れというのは、学校に行くにあたってもとっても深刻で重大な問題です。
いきなり読み書きを習うにしても、先生のおっしゃることを理解するにしても、言語を媒体にして指導されるわけですから、何を理解するにもとても大切なものなのです。
だから、小学校に入った頃から、なんとか授業に着いてゆかせるために、毎日2時間くらいはつききりで勉強していました。横にべったりくっついて毎日教科書を開いて、音読したり、算数の問題をやったりしていたので、事情を知らない人に「ずいぶんとまあ、過保護ねぇ」とか、「1年生からそんなにやらなくても」なんて言われたりもしました。
それでも、「親子で勉強する」ということが、毎日寿命を延ばすための唯一のレッスンなんだと気負っていたせいか、そんなに苦ではありませんでした。
オトート自身、「勉強がイヤだ!」とも言わず、常に黙々と取り組むタイプだったし、わたし自身、「命がかかっている」と思っていたので、案外淡々と毎日を送ってました。
この頃の唯一の後悔はアネに時間をかけてあげられなかったことです。彼女はオトートとは違い、なんでもさっさと理解をしてしまうタイプ。宿題をさっさと済ませては外に飛び出して行く子供でした。今思えば、さみしがりやの彼女こそ、もう少しつかまえてでも、そばに置いていろいろ構ってあげるべきだったといつも思います。
そんなことが頭にあるからか、今は手が余りかからないオトートに変わり、アネの心配ばかりしているわたしです。
さて、筋力がなかなかつかなかったので、書くスピードが遅いのもあって、小学校を卒業するまでは、成績評定はあまりよくなかったです。今は絶対評価なので、昔ほど個人差がつかないのですが、それでも「がんばろう」もあったし、成績が良いとはお世辞にも言えませんでした。
しかし、「問題を解くスピードは遅くても、ちゃんとついて来ていますよ。前よりは着実に進歩してます」と先生方に良いタイミングで言葉をかけていただきながら、なんとかがんばってきました。
もともと遺伝子に欠陥があるとはいえ、インフルエンザ以外の病気には、ほんとうにかからず、学校はほとんど無遅刻無欠席。遺伝子に異常があることも、難病を持っていることも、友達のほとんどが知らないまま、卒業を迎えました。進行がなかったことは、本当にラッキーだったと思います。
さて、「勉強」との出会いについては、ここまでです。
現在の彼の「勉強」との悪戦苦闘っぷりについて、が、本当に書きたいことでもあります。今年は中3になり、受験も間近に迫っています。
この続きは現在語りとして、今後少しずつ書いて行きたいです。
一種類目の型(デュシェンヌ型と言うらしいです)であれば、進行がとても早いので、どうかすると親の寿命は越えられないかもしれない。だから「今のうちに、楽しいことをいっぱいさせてあげなさい。」と言うしかできない、と。そういう子もいっぱいいるんだよ、と。
そしてもうひとつの型(ベッカー型)であれば、「親の寿命を越えて生きられる可能性が高いだろう。それはしあわせなことだけれど、大変だ。体の自由が利かなくなったとしても一人でがんばっていかなくてはならないのだからね。そういう子たちには、『とにかく勉強をさせなさい』と僕は言うんだよ」、と。「頭や知恵を使って、親が死んだ後も生きる手段を持てるようにとにかくがんばるんだよ!」というのは、最大限の励ましの言葉だったのだと思います。
この話を胸に我が家はマレーシアに帰国したわけで、そこから日本に帰国するまでのほぼ半年は、「勉強しよう」は希望を失わないための手合言葉で、暗い長いトンネルの向こうの方にわずかに見える光でもありました。
結果的に、数年たってオトートを見た先生が「この元気なら、おそらく進行が遅い方の型だと思う。おめでとう。」とおっしゃってくださるまでの道のりは長かったですが、「勉強を怠るんじゃないよ。がんばって長生きしなさい」と厳しい顔でオトートに宣言していただいた時は、言葉にできないほどホッとしたのを覚えています。
さて、「勉強をがんばれ」と言われたわが子ですが、歩くことを始めとして、発達が少しづつ遅かったせいもあり、小さいうちは本当に苦労しました。
わたしは学生時代、幼児教育の勉強もしていたこともあったので、言葉のおこりから、発育のことまでこと細かくアベレージを知っていて、そのことが逆にあせりにつながり、大変でした。特に息子の場合、言葉がでるのが遅かったのが顕著で、2語文、3語文からなかなか文章に発展せずに、ずいぶん苦労したのを覚えています。
言語の遅れというのは、学校に行くにあたってもとっても深刻で重大な問題です。
いきなり読み書きを習うにしても、先生のおっしゃることを理解するにしても、言語を媒体にして指導されるわけですから、何を理解するにもとても大切なものなのです。
だから、小学校に入った頃から、なんとか授業に着いてゆかせるために、毎日2時間くらいはつききりで勉強していました。横にべったりくっついて毎日教科書を開いて、音読したり、算数の問題をやったりしていたので、事情を知らない人に「ずいぶんとまあ、過保護ねぇ」とか、「1年生からそんなにやらなくても」なんて言われたりもしました。
それでも、「親子で勉強する」ということが、毎日寿命を延ばすための唯一のレッスンなんだと気負っていたせいか、そんなに苦ではありませんでした。
オトート自身、「勉強がイヤだ!」とも言わず、常に黙々と取り組むタイプだったし、わたし自身、「命がかかっている」と思っていたので、案外淡々と毎日を送ってました。
この頃の唯一の後悔はアネに時間をかけてあげられなかったことです。彼女はオトートとは違い、なんでもさっさと理解をしてしまうタイプ。宿題をさっさと済ませては外に飛び出して行く子供でした。今思えば、さみしがりやの彼女こそ、もう少しつかまえてでも、そばに置いていろいろ構ってあげるべきだったといつも思います。
そんなことが頭にあるからか、今は手が余りかからないオトートに変わり、アネの心配ばかりしているわたしです。
さて、筋力がなかなかつかなかったので、書くスピードが遅いのもあって、小学校を卒業するまでは、成績評定はあまりよくなかったです。今は絶対評価なので、昔ほど個人差がつかないのですが、それでも「がんばろう」もあったし、成績が良いとはお世辞にも言えませんでした。
しかし、「問題を解くスピードは遅くても、ちゃんとついて来ていますよ。前よりは着実に進歩してます」と先生方に良いタイミングで言葉をかけていただきながら、なんとかがんばってきました。
もともと遺伝子に欠陥があるとはいえ、インフルエンザ以外の病気には、ほんとうにかからず、学校はほとんど無遅刻無欠席。遺伝子に異常があることも、難病を持っていることも、友達のほとんどが知らないまま、卒業を迎えました。進行がなかったことは、本当にラッキーだったと思います。
さて、「勉強」との出会いについては、ここまでです。
現在の彼の「勉強」との悪戦苦闘っぷりについて、が、本当に書きたいことでもあります。今年は中3になり、受験も間近に迫っています。
この続きは現在語りとして、今後少しずつ書いて行きたいです。
